PROFILE
私どもアトリエマルメゾンは、1993年8月1日、青木陽里・藤野智恵子の2人で設立したオートクチュールのアトリエです。
現在も婦人服のオーダーを続けておりますが、2003年1月、藤野がビスクドール製作を本城光太郎先生に師事した事をきっかけに人形作家の方々からドールコスチュームの注文を頂く様になり、現在はオートクチュール・ドールコスチュームオーダー・教室運営と三本柱で展開しているアトリエです。
現在も婦人服のオーダーを続けておりますが、2003年1月、藤野がビスクドール製作を本城光太郎先生に師事した事をきっかけに人形作家の方々からドールコスチュームの注文を頂く様になり、現在はオートクチュール・ドールコスチュームオーダー・教室運営と三本柱で展開しているアトリエです。
青木陽里:1963年8月1日生
21歳で単身パリ、イブ・サンローランオートクチュールのアトリエに研修生として渡仏。
1年後帰国し株式会社アトリエ光陽社に入社。
縫製技術の向上を進めると共に、仮縫技術も学ぶ。
それと並行してバイヤーとして、年2回オートクチュールの買い付けに参加。
日本での、サンローランオートクチュールコレクションのチーフフィッターとして活躍。
その後、アトリエマルメゾンを設立。
21歳で単身パリ、イブ・サンローランオートクチュールのアトリエに研修生として渡仏。
1年後帰国し株式会社アトリエ光陽社に入社。
縫製技術の向上を進めると共に、仮縫技術も学ぶ。
それと並行してバイヤーとして、年2回オートクチュールの買い付けに参加。
日本での、サンローランオートクチュールコレクションのチーフフィッターとして活躍。
その後、アトリエマルメゾンを設立。
藤野智恵子:1961年11月30日生
20歳で大阪のオーダメイドサロンにて、縫製の仕事に就く。
その後、一時プレタの仕事に移るが、当時「モード エ モード」誌に掲載されたアトリエ光陽社の記事を見て、長年自分がやりたかった仕事はこれだと決意し上京。
24歳でサンローランオートクチュールの仕事に就く。
その後、青木と共にアトリエマルメゾンの設立に参加。
2003年1月、本城光太郎先生に師事。
20歳で大阪のオーダメイドサロンにて、縫製の仕事に就く。
その後、一時プレタの仕事に移るが、当時「モード エ モード」誌に掲載されたアトリエ光陽社の記事を見て、長年自分がやりたかった仕事はこれだと決意し上京。
24歳でサンローランオートクチュールの仕事に就く。
その後、青木と共にアトリエマルメゾンの設立に参加。
2003年1月、本城光太郎先生に師事。